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ドクターMの独り言

「亡き父の81回目の誕生日に思ったこと」

 昨日は4年前に亡くなった父の81回目の誕生日でありました。(もちろん生きれいれば…の話ですが…。)と言う訳でもありませんが、診療後一人暮らしの母を誘って夕ご飯を食べに出かけておりました。

以前からこのブログでも再三書いておりましすが、当院は私がまだ4歳の頃(昭和43年)に「松井産婦人科」として父が開業したのが始まりでありました。当時、横浜市営勝田団地の建設に合わせて、横浜市で医療機関を募集していたのがそもそもの始まりらしいです…。

当時はベビーブームもあり、まさに一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであり、父と母が一睡もせず、血だらけの医療用エプロンをして働きづめ働いていた光景は今でも忘れることは出来ません。そんなせいもあり、「僕は絶対に患者さんがお泊りする2階建てのお医者さんにはなりたくない!」などと言い放ち、父が苦笑いしていたこともよく覚えています。

そんな光景を見続けたせいか?私は3人男兄弟の長男だったせいもあり、いつの間にかドクターMになっていた訳でありますが、私が医学部に入学した時、医師国家試験に合格した時、さらには平成12年に父のクリニックで副院長として戻ってきた時の父のうれしそうな顔を今でも忘れることは出来ません。

そんな親心は私も2児の父親になった今になってみればよくわかりますが、「勉強」嫌いのチャラ男の私がどれだけ両親に苦労をかけたか考えると、それは想像すら出来ません。(何せ成績表が「オール5」の両親の医者の「長男」と言うプレッシャーは想像を絶するものがありました…。)

もっとも私も今や47歳で、亡き父が47歳だった頃は13歳だったわけで、私を医学部付属の中高一貫校に進学させるために塾通いをしていた私は東急東横線の綱島から横浜駅までただ電車に乗り続け、さぼっていたのを覚えています。(最悪でした…。それにしてもお金もなく時間を潰すのはつらかったなあ…。)

おかげで両親の期待を大きく裏切り、中学受験を断念し、その後は公立中学から高校へと進学した訳でありますが、そんな挫折を繰り返しながら、最終的にはドクターとなり、後も継げ、「それなりには親孝行出来たのかなあ…。」などと感じることもあります。(もっともそれからはそれなりには勉強しましたが…。)

それからすれば今のところ我が2人の娘たちは比べ物にならない親孝行娘でありますが、はたしてこれからどんな進路を進んでいくのでしょうか??…。私的には女の子がドクターになる苦労もよくわかっているつもりなので、今のところ「どうしてもお医者さんになって後を継いで欲しい!」などと言う欲もまったくありませんが、果たしどうなんでしょう???…。

亡き父も晩年は1日20~30人の患者さんの診療でもかなり疲れ切ったいたようでありますが、その当時(13年前)から比べると、患者さんの数も今や8倍増ほどになり、今や少なくとも1日150名を切ることはまずありませんが、そんな私の姿を見て亡き父は天国で成仏しているのでしょうか????…。

もっとも家内にそんなことを言ったら、「お父さんもパパが頑張っているから成仏しているんじゃない…。でもお父さんの全盛期には負けているかもね!!…。」などとこれまた尻を叩かれましたが、

そんな亡き父の81回目の誕生日にそんなことを感じながら、昨日もお線香を上げ、感傷的になっていたドクターMでした。(「今日はおやじの誕生日だからお線香を2本上げるか!!!」と言ったら、「部屋が煙くなるから止めてよ!!!!」と怒られましたが…。やれやれ今日も怒涛の「日曜診療」頑張ります!!!!!)

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横浜市 都筑区 松井クリニック 「整形外科・形成・美容外科・内科・小児科・皮膚科」


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